matsunaeのブログ

親鸞を書きたい。随筆として書いたら良いのか?小説として書いたら良いのか考慮中

謎の国 楼蘭(一)小河墓遺跡

 二千三年の十二月、中国文物考古学研究所のグループが、タクラマカン砂漠を、西に向かって走っていた。目指すは古い都の廃墟、小河墓遺跡である。発掘隊長は、イディリス・アブドゥラスル。
タクマラカン砂漠での言い伝えでは、遺蹟を荒したり、遺物を持ち去ろうとする者には呪いがかかるという伝説がある。
 千の棺の眠る丘には絶えず黄砂が舞い、日中は灼熱の太陽に曝され、夜になると温度がぐっと下がるという。
タクラマカン砂漠は、強い風と体積がおりなす壮大な気象によって、数々の風紋をうみだしている。中には、鬼が住む奇怪な形(かたち)をした城のようなものもあったり、ときには仏塔によく似た形(かたち)もある。
砂漠には絶えず砂が舞い、風は刻々と風紋の形を変える。天空から降下する砂嵐は、地上に渦をつくり砂丘を変化させる。丘や谷も複雑に入り込んでいて、一度(ひとたび)この死の海に迷い込むと、二度と再び戻ることが出来なくなってしまうと言う。
五世紀の初頭、仏典を求めてインドに旅した法顕は、タクラマカン砂漠の様子を次のように述べている。
「空に飛ぶ鳥なく、地に走る獣もない。見渡す限り砂の海で、標識とするは、ただ死者の枯骨のみである」と、記録している。
……砂漠用の車両が、砂を蹴立てて前進する。目的地は小河(しょうが)墓(ぼ)遺跡。強い風によって出来た複雑な地形を走ること四時間、遺跡に近づくに従って砂が深くなる。車体は高いが、砂が車輪を噛み、タイヤが空回りする。こうなると、全員が降りて砂をかく以外にない。
……「ほら! 遺跡が見える」
 ここには、今から二千年以上前のミイラが、何百体も眠っているという。小河墓遺跡は、高さが七メートル余り、丘陵には胡(こ)楊(よう)の柱が多数立ち並んでいる。近寄って見ると柱は人工的に造られたもので、永い期間風雨に晒されて亀裂が入っている。砂丘の上には、棺材や毛織物が散乱しており、自然破壊だけでなく、人による盗掘も行われていたと推測された。