matsunaeのブログ

親鸞を書きたい。随筆として書いたら良いのか?小説として書いたら良いのか考慮中

頑 固 な 石


           (一)


「あなたの石は、硬くて取りきることができませんでした」
「…………」
「だいぶ年季が入っているようですが、いつ頃からですか?」
   年季と言ったって、そんなこと分るはずないよ!
「石は手ごわくて、一回では取り切れません。三、四回通ってもらわねば……」
 女医は三十歳の半ばかと思われるが、外見はかなりの美人である。
「ひと月過ぎないと、次の手術はできませんが、次回は何時(いつ)ごろにしますか?」
   急に言われても……勤めもあることだし。


 私は令和二年二月四日にS病院に入院し、左記のごとき手術を受けた。
まず膀胱から尿管にカテーテルを挿入し、尿管結石の直下、あるいは腎臓の近くまで、細いワイヤーを挿入し、ワイヤーに沿って尿管の中を観察するための内視鏡も同時に挿入し、結石破砕手術を行った。


二回目の入院は三月十日に決まり、十一日に手術が終わり、手術の翌日に、またあの美人先生がやってきた。
「ご気分はどうですか? 手術の経過をお話にきました。今回も石は除去できませんでした。
あなたの結石は特別に硬くて、とても二回や三回では取りきることはできそうもありません」
「あと何回やれば、取りきることができますか?」
「あと二、三回は覚悟してください」
「え! まだこれから三回も……」
「わたしが責任をもってやります」
   そんな、一番恥ずかしい所を、何回もあなたに見せるなんて……。
「次回はいつ頃入院できますか?」
   まったく! なんて事務的なんだ。
 女医は憐れむような眼を向けた。
「あのう、いつごろなら都合がいいのですか?」、
「四月十五日が開いています」
   四月末からは、ゴールデンウイークが始まり、その上入院と言うことになれば、日給である私の収入もへってしまう。どうしよう……。妻は、「少ない葬式費用を削って入院費に回しているのよ」と言うが、もし尿毒症にでもなれば、働けなくなってしまうかも分からない。そうなれば更に困るのは目に見えている。
 しかし頑固な石を放って置くこともできず、あれやこれやと迷っている最中に、院内放送が女医を呼び出していた。
「四月十五日の入院でいいですね。それではこれで……」と彼女はそそくさと病室を出て行ってしまった。


          (二)


 窓からライトアップされた東京タワーが、目に飛び込んでくる。不安を抱えた一刻(いっとき)の余裕ではあったが、S病棟からタワーを見ていると、昭和三十三年頃の想い出が目に浮かんでくる。
 東京タワーの建設が始まったのは昭和三十二年六月。……私は山手線に乗るたびに、鉄塔が伸びるのを眺めていた。浜松町近辺から鉄塔がよく見えた。日に日に高さを増していくのが楽しみだった。タワーの完成が、昭和三十三年十月、まだ高速道路の高架に覆われる前の赤羽橋には、都電や人々が賑やかに行き交い、多様なデザインの外車も走っていた。現代では欧州車が目立つが、そのころ一番多かったのは大型のアメ車だった。キャデラック・GM・フォード・クライスラー・シボレー・パッカード・リンカーン・スチュードベイカーなどが、よく走っていた。
 東京タワーが立ち上がった直後の、昭和三十三年十一月には、美智子様と皇太子の御成婚が決まり、午後には美智子様とご両親が皇居を初訪問し、続いて宮内庁の記者会見に臨まれた。
「殿下のどこに魅力を?」という質問に、
「とてもご誠実で、ご立派で、心からご信頼申し上げ、ご尊敬申し上げていかれる方だと言うところに魅力を感じました」とお答えになった。
 とかく皇室には無関心の若年層を、すっかり虜にしてしまい、空前のミッチーブウムに日本中が沸いた。テニスが大流行し、白のシャツブラウスに紺のカーディガンという、美智子様のテニスファッションが、庶民の間で持てはやされた。皇太子ご成婚の映像や、プロレスの画像が、東京タワーの電波に乗って、人々を釘付けにしていたあの頃の日本は、敗戦からの再生を果たしつつあった。正に昭和三十年代は日本の青春と言えた。
 ……あれから、瞬く間に五十年が過ぎ、私も今年で八十四歳を迎えることになる。衰亡はおもむろに進み、終末は静かに兆している。私は何ものかの勢力で、死を迎える条件がことごとく熟したのを思うにつけ、まだ死が訪れて来ないのを不思議に思っている。もっとも衰えることが病(やまい)であってみれば、尿管結石の病気など何ほどの事もない。


          (三)


 新型コロナウイルスの最盛期、四月十五日に私は再度入院した。看護師(私は、この呼び名は嫌いである。看護婦でなければ、白衣の天使のイメージがわかない)とは、もう顔なじみになっていて何となく親しみが湧く。
「芝山さん、あなたとは今度で三回目ですね。よろしくお願いいたします」
「あら! わたしの名前、覚えていてくれたのね」
「私の住所が[芝]なので、すぐに覚えました」
『昼間の係です。芝山と呼んでください』
 入院した日は、夕食を取ったあと、下剤を飲むぐらいで、何もやることはない。ときどき夜勤の看護師が、体温と血圧を測りに来るぐらいである。病室は四人部屋で、患者はほとんどが老人である。
 私が本を読んでいると、隣りのベッドの老人が、乱暴に戸棚の戸を閉めたり開けたりしている。やがてそれが終わると、今度は知り合いに電話を掛けている。……そうかと思うと、向かいのベッドの老人が大声をあげて、看護師を呼んでいる。うるさくて本など読んでいられない。一体この老人たちの行動は何を意味しているのか? ……。
 隣の老人は、今日手術をしたらしいが、夕食の時間に看護師を呼んで、「うんち」と言っている。「なんだってこんな時間に!」手術のあと、あくる日の朝までは立ち上がれないが、そのために手術前に下剤を呑み、座薬まで挿入しているのに! ……。
「誰かの著書に、[九十歳。何がめでたい]というタイトルの本があったが、これまで長寿でありさえすれば「おめでとう」と言われてきたが、今後そうは行くまい。八十歳を過ぎた人間には生産性はないし、責任能力も薄い。将来このような老人が増えれば、社会は疲弊し国家は困窮する」
   「そう言うお前も、八十歳を超えているじゃないか」
「俺は、まだ働いてもいるし、理性にも問題はないと考えている」
   「そう言う考え方を、独断と言っている」
「じゃあ聞くが、生産性のない老人や、理性に乏しい人間の数が増しても、社会は成り立つとでも思っているのか?」
   確かに、現代人は、生産性の圧力の中で暮らしている。だからと言って、お前のような考え方に賛成はできない」
「俺は、長生きすることが、日本の将来を危うくすると言っているのだ」
少子高齢化にともない、二千二五年には、認知症患者が七百万人に達すると見られている。社会保障の財源も、社会を支える人の数も足りない。そのとき生産する能力が無い人間に、資源を振り向ける余力があるのだろうか? 現在でも消費税を五パーセントに引き下げろとか、〇パーセントにしろと言っている評論家がいるが、この人たちは日本の将来を真剣に考えているのだろうか? 
 老人問題についての議論は必要だと思っているが、現代人は、そういう難しい問題を避けようとする傾向がある。一人の高齢者を十人で支えて来た、千九百五十年代から二千十年には、支える人は二、六人までに減っている。現在は、その数字を下回っていることは確かだ。国の医療・社会保障費も限界にきている。


          (四)


 五月十九日に四回目の入院をした。十一時ごろ病室に案内されたが、その日はべつだん何もすることはなく、しばらくのあいだ椅子に凭れたまま、脱いだ片方のスリッパを足の指に挟んで揺らしながら、病状の思索に耽っていた。
 前回、美人の小松田先生から丁寧な説明を受けた。「レントゲン写真を見てお話をするのですが、あなたの石は現在腎臓のすぐ下の尿管にあって、当初の石の大きさの四十パーセントほどが残っています。たぶん、次回の手術で取り切れると思うのですが、もし手術後にレントゲン写真を見て、取り切れていない場合でも、あとは外来で処理できますので、入院は次回で終わります」と、告げられた。
   あぁ、やっと終わるのか。それにしても長かったなぁ……。


その日の係は戸田という看護師だった。はきはきとした親切な人だったが、少し勝気なような気もした。忙しいのかも知れないが、よけいな話はしない。私は、どちらかと言えば、病状の話にはあまり興味はなく、むしろ病気に関係のない話をして、人間関係を構築しておきたかった。
昔は若い女(ひと)には、声もかけられなかったが、今では、少し図々しくなって、平気で声をかけられるようになっていた。
「あなた、この病院は長いの?」
「それほど長くはありません」
「何年ぐらい勤めているの?」
「二年になります」
 なんとつまらない会話だろう。これでは病気に関する話の方が自然だし、長く話が続くとさえ思った。気持の中に、何かうすぼんやりとした悔いが残った。
看護師の頬は、ほてっていた。吐く息に五月の若葉を思わせる匂いがある。彼女には、まだ誰の所有にも属していない硬さがある。彼女は、私がどんな態度をとろうが、関心のなさそうな様子をしていた。
 夕飯が住むと、夜の係である看護師が顔を見せる。芝山という看護師だった。
「何だ! また君だったのか」
「あなたとは、今回で四度目よ、厭な顔しないでよ」
「この顔が厭な顔に見えるか?」
「冗談よ、それにしても随分と長いのね」
「うん、でも今回で君とも逢えなくなる。小松田先生の説明によると、今回で終了だそうだ。仮に今回取り切れなくても、石を砕くことは出来るそうだ。あとは外来でステントを抜くだけだとか?」
「よかったわね、そしたら私の顔も見ないで済むじゃない」
「こだわるなよ、本当はもう君に逢えなくなると思うと寂しいんだよ」
「本当ぅ? お世辞でもそう言ってくれると嬉しいわ」
 芝山さんとは初めての入院のときから、打ち解けていたような気がした。何かの切かけから、話題がインターネットに移ったとき、私のフルネームを教え、検索して見てくれと言ったことがある。検索したかしないかは分からないが、未だにネットの話は出てこない。
「何かあったら呼び鈴をおしてね、また後で体温と血圧を測りにくるわ」
 芝山さんは、そう言うと病室を出て行ってしまった。  まだ消灯前でもあるし眠くもなかった。談話室へでも行って見るか……
 談話室に入り、大きな窓に目をやると、真っ赤にライトアップされた東京タワーが目に飛
び込んでくる。コロナで面会謝絶になっているせいもあって、部屋には人影はほとんどない。
……オリンピックが終わっても、まだ赤羽橋の上を都電が走っていたと思ったが、現在は赤羽橋の上を高速道路が跨いでいる。
 都電は虎ノ門方面から、東京タワーに向かって神谷町の坂を上り、飯倉から三田の方へ下って行く。そして赤羽橋を渡り、慶應義塾大学の前を通って札ノ辻まで行っていた。


 夜景に彩られた高層ビルの灯が一望の裡にある。丘の上を横切るタワー通りの左には、高台の緑陰を生かしたオランダ大使公邸があり、その手前には、聖オルバン協会。公園を挟んだ隣が、芝給水所跡。この辺りは、散歩するのに事欠かない。
 大きな窓から見る夜景は、ライトアップされた明るいタワーに圧倒され、町の視野を狭めているが、縦は神谷町から仙石山まで、横は飯倉から都心環状線が走る麻布通りまでの、広い区域が工事のため、この範囲だけが闇に閉ざされている。
 いま都心では、大規模な工事が、そこいら中でなされている。その数と言い規模と言い、
バブル時代を遥かに凌いでいる。前から有った計画とはいえ、変わりつつある世の中に東京は対応して往けるのだろうか? 破局は必ず訪れるだろうと私は予感している。
まだ、[成れの果て]までは行っていない東京もいつかきっと…… 例えば、立ち上がった高層ビルに入る会社もなく、ビルの価格が底なしに値崩れするとか? ……私は自動販売機から生茶を取り出し、喉を潤しながら夜景を見つめていた。
プライドを放棄したビルの、成れの果てを想像しただけで素晴らしい。私はビルの礎石に触れながら散歩を楽しむだろう。どの角を曲がっても壁は無言で私を受け入れる。粘液などひと欠片(かけら)もない大理石に頬を当て冷たさを楽しむ。
 冷たく明るい巨大な[墓]に日が降りそそぎ、「早く来い」と囁いている。私は大理石に寄り掛かり、お互いの立場について語り合う。
「これからの社会は、コロナの影響もあって大幅に変わるぞ! オンラインが中心になると、東京に居なくても経営が成り立つ世の中になる。そうしたらビルに入る会社なんか無くなってしまうぞ」
「そう言う考えを取越し苦労と言うんだ。心配には当たらないよ、そんな状況になる前に政府は外国人を呼び込むに決まっている」
「そうなれば、アメリカ並みになる。治安はどうなる?」
「あんたの入る墓が、無くなるだけだよ」
「お前は巨大で冷たい体をしているが、最近では死者を埋葬する様式も変わって来て、昔のように地上に墓碑を立てるばかりが墓ではない。葬儀社のパンフレットによると、樹木葬と
か、海洋葬・宇宙葬などがあって、宇宙葬などは、なかなか魅力的だぞ! 『地上に墓碑を立てるばかりが墓ではない。地球に墓を持たずに[月にお墓を持つ] お墓の維持管理で悩むのであれば、墓じまいを前向に考えるのも一つの手段である。ご先祖様の遺骨をパウダー化し、月面に打ち上げることで、永久に月が先祖代々のお墓となる。宇宙葬は今や現実のもの、ロマンでもありスペクタクルでもある。ステイタスとして、いつまでも輝いているなんて素敵だと思いませんか』と、宣伝しているぞ!!」
……春なのに今夜は何となく寒い。この病棟は二年ほど前に建ち上がったばかりだ。明るい廊下は、どこもかしこも冷たくて清潔感にあふれている。それは私に砂漠のような気分を与えた。そんな埒もない感慨に暫く浸った後、誰もやって来る気配のない談話室を後にした。


          (五)


 ……臭い大便の臭いで目が覚めてしまった。部屋中に広がる臭気に我慢ができず、思わず布団を被ってしまった。想像によれば、ねっとりとした便に量も半端じゃないらしい。十分ほど経った頃、「どうしましたか?」と言う看護師の声。
「さっきから呼んでいるのに、何で来ないんだ!」
「他の患者に呼ばれて、手が離せなかったのよ」
「言い訳はいいから、早く取ってくれ!」
「わぁー臭い! うんちが出そうになったとき呼んでよ。そしたら便器を当てがうんだから」
「いいから早く取れよ!」
 看護師も、なかなか処置をしようとしない。それにしても下(しも)の面倒から痰のことまで世話を掛けている看護師に対して、罵詈雑言を浴びせかけている。
「今、手の離せない患者がいるのよ!」
「そっちは後にしろ!」
「そうはいかないわよ」
と、言って出て行こうとする看護師の背中に向かって、「馬鹿野郎!」と、叫んでいる。向かいのベッドへ来た看護師は戸田さんらしい。手が足りないらしく、昼間から引き続き勤務しているらしい、疲れているのかも知れない。
 それにしても爺は、辺り構わず怒鳴り散らしている。つねづね多くの人々を傷つけ、不幸にしているという自覚など、まったく感じられない爺は、己の身にそなわった、生まれながらの自負を抱いていたが、体の利かなくなった現在、老いと病気と分泌物の臭いに埋もれながら、看護師に対して、ひそかに復讐を企んでいるのかも知れない。
 しばらく布団を被り、悪臭を我慢していると、二人の看護師が、爺の部屋へ入って行った。一人では手に負えないらしく、戸田さんは芝山さんを伴ってきたらしい。
「おしめを変えましょうね」
 芝山さんの声が聞こえて来た。爺は、これ以上駄々をこねると、糞を取ってもらえないと考えたのか、おとなしくしている。私も早く糞の始末をしてもらいたいと思っている。こんな状態が続けば窒息しかねない。しばらくは、大便を処理している会話が聞こえてくる。
「弁(べん)原(ばら)さん、身体を横にしてください」
「一人じゃ無理だってば、手を掛けてくれ!」
   なにから何まで、世話になっているくせに、少しは感謝したらどうなんだよ! まったく!! 
 大便の処置をすますと、二人の看護師は病室を出て行ってしまった。  消臭剤を撒いてくれ! そう思っていると、シュ、シュという音が聞こえて来た。
   ああ、これでやっと眠れる。糞意地の悪い爺の奴、看護師に何か意地悪なことでも企んでいなけりゃいいが……。
 ひと眠りしたころ、「松苗さん」と、呼ぶ声がした。目をあけると、芝山さんが医療器具を乗せたキャスターの向こうにいる。
「体温と血圧を測りに来ました」
 私は体温計を腋の下に挟みながら、「さっきは、酷い目にあったね」と、言ってみた。
「ああいう患者多いのよ、わたし、あの人の係じゃなくてよかった」
「自分のこと何も出来ないのに……あんな人間、生きてる価値ないよ」
「そこまで言っちゃだめよ」
「だってあの爺、自分のプライドを台なしにする行動を平気でやっている」
「年だから仕方ないのよ」
「とにかく今の世の中、弱者に優し過ぎるんだよ」
「悪いことじゃないわ。……松苗さんって、見かけによらず冷たいのね」
「俺が看護師だったら、あんな爺、蹴とばしてやる。奴は、どんな復讐を考えているか知れやあしない。戸田さんに気をつけろと言っときな」
 険悪な雰囲気にいたたまれなくなったのか「じゃあ、また来るから」と言い残して芝山さんは私から離れて行った。


          (六)


 朝六時を過ぎたころ芝山さんがやって来て、「座薬を入れますので横を向いて、……「挿入してから五、六分は我慢していてね!」と、言った。
 大便に就いては、過去二度の経験で懲り懲りとしていた。自分だけは、みっともないことはできない。そのため前の晩、九時ごろに飲む便秘薬を早めに持ってきて貰い、七時頃には飲んでいた。芝山さんには言っていないが、今朝四時ごろ一回大便をしているのだ。
「九時には、昼間の看護師さんと交代になります。手術は十時からです」
「もう君に逢えなくなると思うと寂しいよ」
「お世辞にもそう言ってくれるとうれしいわ。でもこれでお別れね、どうぞお大事に……」
 彼女は、私が寂しいと言った言葉に、特別な意味なんか感じてはいない。彼女が持つ親密さは天性のもので、入院患者の誰とでも親しくしていた。
 いつか、インターネットの話をしたことがあったが、せめて一作品でもいい、感想を聞いていれば、もう少し親しくなっていたかも知れない。  我儘な患者に当らなければ好いがと、心の中で密かに思った。
九時半になっていた。担当の看護師が、丁字帯とソックスを持って挨拶に来た。
「高田と言います、昼の担当です。よろしくお願いいたします」
 勝気で涼しげな眼をした、若い看護師であった。彼女は、私をベッドに座らせソックスを履かせた。
「パンツ一枚になってください、手術着に着替えます。入れ歯はしていますか? その他、身についているものは全部外してください」
「入れ歯は今朝、歯を磨いたときに外してコップに入れてあります。その他、身に着けている物はありません」
「入院には、慣れていらっしゃるのね。十時少し前に迎えにきます、それまでにトイレを済ましといてください。では後ほど……」
 ベッドの周りには、お茶、タオル、本、メガネなどが雑然と乗っている。カーテンの隙間から光が射し、本のタイトルを照らしている。[シルクロード] 人が見たら、入院中にこんな難しそうな本を読まなくても、と思うかも知れないが、私には、どうしても書き残しておきたい著作がある。
タイトルは、[仏教の道・シルクロード] 誰も読んでくれそうもない本である。以前から私は大乗仏教にたいして、敬虔と疑問を感じている。
 ……仏滅後、四、五百年ほどを過ぎると、[法華経][無量寿経][華厳経]といった経典が、釈迦の説法として公布されていく。言うまでもなく、この新しい仏教を大乗仏教というが、
仏滅後、四、五百年も経ってから現れた経典が、釈迦が説いたものでは当然ありえない。これを編み制作した者は、何者であったのか? 確かなことは何も判らないにも拘わらず、経典には必ず、我聞如是(我聞く是の如くを)と言う言葉が載っている。
 大乗仏教は、釈迦を多大な善行ある者として神格化してきたが、後に仏教文学が発展し、[本生譚]なども出現し、多くの物語が大乗仏教に影響を与えた。
 仏教のことに熱中していると、突然カーテンが開けられて、「松苗さん、手術の時間です」と、告げられた。
 手術室に入ると、生年月日を西暦で仰ってくださいと言う。何度かの経験があるので、わりとすらすらと言えた。看護師同士の事務手続きが済むと、手術台の上で仰向けになる。
「麻酔をしますので、血管に針を通します」うなずいて三分ぐらいで、意識がなくなる。
……肩を叩かれて、ぼんやりと意識が戻ったとき、「松苗さん、松苗さん」と、呼ぶ声がする。高田さんの覆いかぶさるような顔が覗いている。
「お部屋へ帰りましょうね」高田さんの白い顔が天使に見えた。
 手術後は、朝までベッドに寝たままで動くことはできない。腕には点滴の針が通っているし、尿道には小水を出す管が通っている。看護師が時々熱と血圧を測りに来る。
「血圧は百四十六、熱は三十七度です」
「あのーぅ、今回の手術は、どれくらい時間が掛かりました?」
「三時間ほど掛かりました。経過は順調です。小水も、きちんと出ています」
「ありがとうございます。ちょいちょい見に来てください」
「分かりました、何か不安なことでも……」
 そう言って、高田さんは病室を出て行ったが、不安なことなんか何一つない。ただ、ときどき若い女性の声を聞いていたいだけなのだ。
 朝になると、尿道の管を外しにきた。夜の勤務に就いていた、ベテランの看護師であった。
「水をどんどん飲んでください。それから、紙カップで、取った小水は、棚に出して置いといてください」
 九時ころになると、手術をしてくれた小松田先生が来てくれた。
「今回で終わりです。石は砕きましたが、まだステントは、尿管に残っています。ステントの除去は通院で処置できます。長いあいだご苦労様でした。……具合の悪い処は、ありますか?」
「ありがとうございました。今のところ悪い処はありません」
 小松田先生とは、長く話ができたらと思っているのだが、いつも事務的で話は短い。どうしたら話が長く続くだろうか? こんど会ったら質問攻めにして見ようか? などと考えている……。
                                    了