matsunaeのブログ

親鸞を書きたい。随筆として書いたら良いのか?小説として書いたら良いのか考慮中

謎の国 楼蘭(七)タクラマカン砂漠



 先頭を歩くキャラバンリーダーに続き、ラクダの鎖のような長い列が一列になって進み始めた。出発してしばらくは、タクラマカン砂漠を見つめながら、タマリスクの茂みの間を
進んだ。先ほどまで荒れ狂っていたロバも、列を乱すことなく、おとなしく従っていた。
 点々として生えていたタマリスクの茂みが、しだいにまばらになってくると、緑を帯びていた木々も、茶色く枯れた姿に変わって行く。いつしか大砂丘が眼前に迫ってきた。六十頭のラクダは、くの字の形になりながら進んでいる。起伏のひどい所を避けるためだ。
 当初の予定では、二時間おきに小休止を取ることに決めていたが、出発時間が遅れたため、もう一時間ほど進んでから休息を取ることにした。
かって、タリム河はこの辺りまで流れていたというが、今は川床が微かに残るばかりであ
る。タクラマカン砂漠の場合、地下には大量の水が貯えられている。その水は南の崑崙、北の天山、西のパミール。これら六千メートルを超える山々に多量の雪が降る。夏になるとそれらが解けて砂漠に流れ下ってくるのである。
川床を進み小高い砂丘の前まで来ると、全員がロバから降りて水筒の水を口にする。砂丘の上の太陽がようやく西に傾いた。「今夜はここでキャンプする」と陳はラクダ使いに告げた。
 二日目は太陽が昇る前に起床する。まだ周りは闇に包まれていたが、あと六日で目的地へ着けるという期待がある。朝食が終わるころ日も昇り、一行は左手に大きな砂丘の連なりを見ながら南へ向かう。
 砂丘に沿って、比較的平坦な場所を選んで進む。周りの風景は一向に変わらない。すでに気温はかなり高い、中には座り込んだまま動こうとしないラクダもいる。私たちだって限界に近づいている。それでも、最後の気力を振り絞り、小高い丘の上にたどり着いたとき、私は愕然とした。見渡す限り砂丘が続いているだけなのである。
 私はある種の緊張を覚えた。隊員たちも、砂漠のキャラバンがどれほど過酷なものであるかを、身をもって体験しているのだ。午後になって風が強くなってきた。前方に黄砂の舞うのが見える。ラクダ使いが走って来て叫ぶ。
「ロバを風下に向けて、腹ばいにさせろ! その前に首が入る穴を掘れ、突風がきたら、ロバの首を突っ込め!」
 一羽の鶏が声を上げて、大きく羽ばたいた。同時にロバが一頭、身もだえしながら逃げだした。普段は従順な家畜も、危険の迫ったのを予感して、身の安全を図って逃げ出したのである。
辺り一面に黄砂が舞い、隊列もすっかり砂のベールに包まれてしまった。口を布で覆ったぐらいでは、どうしようもなく息苦しい。ラクダは、砂嵐の到来を予知し、鼻を砂の中に埋めて目を瞑っている。砂塵はすぐに過ぎ去るが、このとき鼻口を防ぐ物がない場合は、その者は大変苦しむという。
 我々は、タクラマカン砂漠に足を踏み入れてみて、タクラマカン砂漠と言うものがいかなるものか、その一端に触れた思いであった。タクラマカンとは、ウイグル語でタッキリ、マカン。タッキリは(死)マカンは(はてしない)と言う意味。確かにタクラマカン砂漠は、[死の海]以外の何ものでもなかったのである。
 砂漠では悪鬼、熱風が現れ、これに遇う者は砂漠の中を迷い歩き、目的地へ着いた者は一人もなく、茫漠とした砂丘と渓谷の中を彷徨(さまよ)い、終(しま)いには皆死んでしまうのである。
 ……ところでこの砂漠には、不思議な風説が残っている。歩きながら眠りこんでしまったり、あるいは何らかの理由で、連れの仲間に置き去りにされて離ればなれになり、なんとかして追いつこうとして焦っていると、悪霊が彼の仲間のように話しかける。しかも、しばしば彼の名を呼んでいるのである。
「わたしが案内して進(しん)ぜよう」旅人は悪霊の声に惑わせられて行方不明になったり、仲間から逸(はぐ)れて遂には死んでしまうのである。
 またこの悪霊の声は昼間でも聞こえてくるという。そこで旅人は、この砂漠を横断するときは、お互いが逸れないように、ラクダの首に鈴をぶら下げて行くのだと、陳は話した。
 砂丘の上の太陽が、ようやく西に傾いた。進むか止まるか、ラクダ使いと陳の意見が分かれた。だが、ラクダも人間も限界にきていた。無理をしてこのまま進むのは危険が多い。私たちは、疎らな枯れ木が残った砂丘の窪地にキャンプをすることにした。
 ……あくる日の朝、まれに見る激しい風に目を覚まされた。この風は、キャンプの周りに、もうもうと砂埃を巻き上げていた。しかし、飲み水には限度がある。合間を縫って出発の支度を整える。
二日歩いても三日歩いても砂しか見えない。砂漠には果てしなく砂丘が連なっている。砂丘が波なら、風紋は波の中のさざ波だろうか。目的を忘れて、漠然と光景だけを眺めているならば、実に美しい。特に朝と夕、光が横から当たるとき、大きな波も小さな波も、陰影をひときわ際立たせる。しかし反面、昼の世界を闇に閉ざす竜巻は、黒い嵐[カラ・ブラン]の一つだと陳は言った。


   カラ・ブランよ、カラ・ブラン
   ああ、恐るべきカラ・ブラン
   わが故郷を奪い、わが故郷を埋め
   わが愛する妻子を離散せしめぬ


 タクラマカンには、緑に沿ってオアシスが点在し、水が旅人の喉を潤し、ホプラの木陰もあると聞いていたが、砂漠に入ってからは、三日たっても四日たっても、周りの風景はほとんど変わらない。見えるものは相も変らぬ砂ばかりで、寂寞を破るような何物も現れない。
 陽光は茫漠として霞み、砂の異変が夢幻のように見える。しかし夏になると、南の崑崙や北の天山から雪解け水が流れ下ってくる。陳の説明によれば、水は砂漠の砂を飲み込んで、人の駆け足より速い速度で進むという。
 砂漠の中で何日も彷徨(さまよ)っていると、誰彼なく水を連想する。しかし今の時期水などは流れては来ない。風は砂を飛ばし、小石を走らせる状態で、見わたす限り黄砂の海である。
 春から初夏にかけて、タクラマカン砂漠には、カラ・ブラン(黒い嵐)と呼ぶ砂嵐が起きる。それに巻き込まれたら、という不安に怯えながらヤルダン(風が作った粘土の塊)を縫って進む。ヤルダンは無数の列をなしていた。その隙間を通ってしばらく歩かねば、次の隙間まで行き着かない。こうした地勢は人を絶望に追い込んでしまう。
 ここからロブ湖まで何日かかるか分からない。砂漠に入ってからでも何人埋葬してきたか! おそらく三十体は下るまい。比較的達者なのは若い女性で、何かと子供の世話を焼いている。今も子供を、風と反対に尻を向けさせている。その時の彼女の幸福に満ちた表情は一体なんなのか? 目前に果てしなく広がる砂漠は、生ある者を拒否して、厳粛で恐ろしくさえあった。しかし、もう誰が止めようとしても、この女性を止めることなど出来そうもない。  なぜ先へ進みたいのか?「是非など問うな!」二人とも、風を拒否するそんな姿で立っていた。
 ここ数年、血が騒ぐことなどなかったが、私は私の血の騒ぎを、しずめることはできなかった。たとえそこが極寒の地であろうが、死の砂漠であろうが、私は行かなければならない。
この先のことに、是非など考えている余裕などなかった。先頭のラクダはもう歩きだしていた。砂のうねりは波のように美しい。目の前の、このつつましい砂の小流も、大気が急速に冷える真夜中、砂の熱さと空気のつりあいが崩れると、控え目だった砂の小流が荒波に変わり、荒れ狂う大海に豹変する。
 ……私は歩いていた。歩きながら目指す目的地が、どんどん遠ざかる衝動に囚われ始めていた。  これか! これが砂漠の誘惑なのだな? 旅人が悪霊に惑わされるとはこう言うことだったのか? 「空に飛ぶ鳥なく、地には走る獣(けだもの)もいない。見渡す限り砂の海で、行路を求めるにしても拠り所が無く、標識として頼るものは、ただ死者の枯骨のみである」と、法顕は記録している。
 陳は期待したほどに砂漠の方角を知っていなかった。砂漠へ入ってからの一日目は、川床に沿って東に一日行き、そこから南の方の土地をさすらったが、確かな発見は何もなく、陳は前に自分が通った方向を、見つけ出せずにここまで来たのかも知れない。
 日が沈み、多少の涼しさがおとずれるようになると、皆も元気を取り戻していた。翌日、めずらしく北西風が吹き、短いが強い驟雨が降って皆を喜ばせた。遠くに見える山の尾根が、青灰色の輪郭をくっきりと描き、雲によって活気づけられる空よりも、やや黒ずんで見えた。
 風が砂漠をわたる。不安に囚われながら半日彷徨(さまよ)って、やっとキャンプ地へたどり着いた。
キャンプの一角で、陳とラクダ使いが、なにやら激しい口調で論じ合っていた。
「ロブ・ノールへはいつ着くんだ! ラクダも水を欲している。あと二日もすると、ラクダは動かなくなる」
「積んでる水を少し与えろ」
「ロバに背負わせた水も底をついている。人間とロバの水はどうする」
「だから、ラクダに水を半分ほど与えろと言っている」
「何日したら、ロブ・ノールへ着くんだ!」
「その手前に溢水(いっすい)地帯がある筈だ! そこには多くの沼沢地があって、さらに進むと池のような湖がある。そこからロブ・ノールまで二日あれば着く」
「それで、その沼沢地まで何日かかる?」
「二日もあれば着くだろう」
 陳が言う池のような湖とは、川から地下水をもらっていて、いつでも水があるとは限らない。朝起きると、陳は太陽の位置を確かめ出発を命じた。
 砂漠は相変わらず単調で、しかもその寂寞を破るような何物もない。まわりの光景は依然として変化せず、目に入るものは果てしない砂の波ばかりである。空に鳥一羽見る訳ではないから、砂こそが砂漠で唯一の生き物のようにさえ感じる。
 あと四日、陳を信じる以外なかった。今は誰も陳を邪魔すべきではない。だが、この日ほど不安にさいなまされて歩いたことはなかった。もし誰かが、「水が尽きたらどうなるのか」などと呟いたとしたら、私は、そいつの頭を殴りつけていたに相違ない。
ここで水が尽きたならば、旅行者は絶望的である。けれど、ロブ・ノールの広さは、海のように大きいと聞いている。方向さえ間違わなければ、湖をきっと目にすることが出来るはずだ。しかし、その日も砂しか見ることはなかった。風は風紋を刻み、そこに斜光が当たって陰影を際立たせている。
 太陽はすでに砂丘に沈みつつあった。陳はキャンプ地を定め、そこにテントを張るよう命じた。夜のキャンプの上に、月が銀白の輝きを投げかけ、深い眠りに落ちたテントからは、平和な気配が漂っていた。
 朝起きると、また陳は太陽を見つめていた。時間と太陽の位置で進行方向を確かめているのだ。気温は四度まで下がり、この季節にしては異常に低かった。あらかたのテントは絨毯(じゅうたん)で出来ていて寒さは凌げたが、砂漠の涸沢で寝たせいか、起き出してきた人たちは、みんな体を摩(さす)っていた。
 出発してからも、風の轟におびえながら進んだ。飛ぶ砂や埃が視界を遮り、周りが見通せない気がかりもある。しばらく歩くうち、起伏の多い窪地にタマリスクを見た。現在は乾上っているものの南へと続いている。その輪郭は極めて不規則で、南の方角がだんだんと狭くなっていて、結局溝になってしまったが、そこには、ちっぽけな沼沢地があって水が貯えられていた。
「水だ、水があるぞ!」
 人間もロバもラクダも、争って水辺へ駆けつけた。今まで萎れかえっていた人も動物も、草木が水を得たように元気を取り戻していた。溝はそこからさらに南東に流れ、やがて砂漠の中に吸い込まれていると言う。
「少し早いが、今日はここでキャンプだ!」
 陳の誇りに満ちた声が聞こえてきた。人々のあいだから、歓声に似たどよめきが起こった。
「ロブ湖までは二日で着く、安心してゆっくり休め」陳は、勝ち戦の将軍のように肩を聳(そび)やかせていた。
 この支流は、わずか五、六メートルの幅に過ぎなかったが、形(かたち)は不規則で全く気まぐれにくねっていて、完全に乾上がってはいなかった。途中には流れのない水溜まりがたくさんあって、川床の半分はそれらで占められていて、水溜まりの間には水路がゆるやかに流れてもいた。
 私は、是非とも確かめたいことがあって陳を呼んだ。
「ロブ・ノールのことを少し詳しく聞かせてほしい」
「ロブ・ノールへは一度行ったきりで……で、どんなことを」
「林や森はあるのでしょうか?」
「もちろんあります、そこには鳥も獣もいます」
「周辺へ水を引けば、作物は出来そうですか?」
「さぁーそれは、私には分かりません。湖には魚はいますし鳥もいて、さかんに鳴き声をたてていました」
「私たちは、そこで生活をしようと思っているものですから……」
「承知しています。開拓のしようによっては、いい土地になると思いますよ」
「そうですか、ロブ・ノールへ着くのが楽しみです」
 その夜のキャンプは、どのテントからも賑やかな声が漏れていた。ラクダもロバも足を折りたたんで寛いでいる。
 陳からロブ・ノールの話を聞いた夜、テントへ帰ってからも、セルジュは陳の話を反芻していた。
 セルジュは、陳からロブ・ノールの話を聞いた今、昨日までの不安が幻のように感じられた。しかし彼にとっての未来は、それが明るくなければならぬ。もし日光の下における秘密というものがあるならば、その神秘こそ我々に与えられた物であらねばならない。
 あくる日、太陽が顔を出すころには、もうキャンプは賑やかになっていた。テントの前の背の低い箱に、お茶と温かい料理が並んでいた。中でも最も重要なものは羊の肉で、砂漠の旅には、欠かせない蛋白源である。羊の肉に脂身を挟み、串にさして火にあぶるというだけの料理である。
 羊肉独特の癖はあったが、しばらくぶりの御馳走に、食い意地の張った私は「あっ、あっ」と言いながら頬張った。となりの台には、太ももの付け根から足首まで、一メートルもあろうかと思われる羊の足が丸ごと乗っかっていて、それを岩塩と胡椒を振りかけて皆で食べている。食べ終わると、それぞれが満足して茶をすすっている。
「急ぎましょう」陳の催促に皆が立ち上がった。出発の準備はすべて整った。
 キャラバンは前進した。陳の予言が正しかったことを、自分自身の眼で確かめたものの、これから先の砂漠を思うと、ふと不安が過った。案の定、午後に入ると激しい風と共に私の杞憂が始まった。砂丘はむきだしで、恐ろしいばかりに不毛であった。自分の意識が正確だと分かったのは、波浪のような丘を降り始めたときだった。斜面は長く一向に平らにならない。砂漠にも眼に見えない湿地帯があるのか? 涸(かれ)谷(たに)なのかは分からないが匂いはなかった。
 砂は少しも匂いをもたないのだろうか、これだけ広大に広がった砂が何の匂いも発しないのである。涸谷に川の名残はあるが、川床は乾上がっている。夏になると天山山脈や崑崙山脈から雪解け水が流れ込み、そこからさらに南東に流れ、四、五日歩いた先で、砂漠の中に吸い込まれて終わっているという。
 見上げると、太陽の凄まじい光が飛砂で視界を遮った。キャラバンは川底を辿って進んだ。再び大砂漠が我々を取り囲んだ。キャラバンが川底を捨て去って南に転じて以来、砂が足元に食い込んでくる。風はまだ残っていたが、空からも、地の底からも、熱の圧力が一行を押し包んでいる。しかし動物も人間もわりと元気で、ここまで来た誇らしさの感情が、何となく伝わってくる。
 そんな中でも若い女性たちは、病苦に苦しむ人たちを励ましつづけた。
「明日は目的地へ着きますよ! あと一日辛抱してください」
 女性の励ましの言葉に、今まで息苦しそうだった病者も安心したのか、「水を飲ませてください」と、水をねだった。患者は苦痛と恍惚に耐え、確実な生命の実存に陶酔した。
 南方に黄色の砂漠が広がっていた。そこには長い波状の砂丘が隆起し、ヤルダンの風景が出現した。ヤルダンとは、風のために独特な状態に形づくられた粘土の塊である。そろそろ 日が落ちる。陳は丘の窪みにテントを張るよう命じた。
 ……夜のキャンプに、月が銀白の輝きを投げかけ、深い平和が辺りにみなぎっていた。
「明日は目的地だ!」誰かの声と共に、全員が夜食にとりかかる。すべての人たちは、田舎にでもいるような気分で、残りの鶏を全部ほふり、小麦粉もねった。肉は串にさして焼鳥にし、ねった小麦粉でパンを焼いた。
 超人的な労苦のあとでの、食事の支度は皆を元気づけていた。
「湖へ着いたら一番先に何をする」
「湖へ飛び込んで、思い切り泳いでみるさ!」
「そうだな、動物もきっとそうするだろう」
「俺は魚を獲って喰いてエ」
 はずんだ会話のなか、食卓に料理が並ぶ。陳と私と四、五人が、食卓がわりに使っている箱の周りに座った。我々は小一時間、時を忘れ楽しく歓談した。