matsunaeのブログ

親鸞を書きたい。随筆として書いたら良いのか?小説として書いたら良いのか考慮中

謎の国 楼蘭(八)ロブ・ノール



 ……翌朝、陳は南方の窪みを越え丘の上から、通行しやすい道を見つけるため辺りを偵察していた。東方の彼方からは、燃え立つような太陽が昇り、燎原の炎のようだ。北の方は広々として平坦な土地だが、南の方には、かなり高い丘が見える。陳は、キャンプへ帰ると出発を命じた。
 キャンプ地を出発し、忍耐も尽きるころ、黄金の眩しい砂丘が目に入ってきた。私たち
はこれまでと同じように、歩きにくい砂丘の中を黙々と歩いた。砂の海のただ中で私はめまいを感じた。
「思った通りだ!」前方から陳の声。
 近くの何人かが、歩くのを忘れて前方を見ていた。凹凸の厳しい砂漠に点在するヤルダンも太陽の光を受けて美しい。
「この丘を越えたら食事にする」
 陳の声に、皆勇み立って丘を下る。歩くときには、足元ばかりを見ながら歩く。私の前を歩いている隊員も、相当疲れている様子だ。足がほとんど上がっていない。脇を通過して前に出て顔をのぞく。「おい!」と声を掛けるが、地面をみつめたまま返事をしない。
   これは最後までもたないな、と思う。……案の定男は動かなくなってしまった。男を葬ったため、昼食が大分遅れた。太陽は高く、どこにも日影が無い。
「日暮れまでには着きたい」と言う陳の掛け声で早々に出発する。相変わらず黄色の砂漠が
広がっていた。そこには長い波状の砂丘が隆起し、ヤルダンの風景が出現した。ヤルダンとは、風のために形づくられた粘土の塊であって、独特な形状を作り上げている。
 また陳の声が聞こえて来た。「このヤルダンを通りこしたら小休止にする」私は陳の声にほっと一息つけた。
 休息は丘の麓を選んだ。充分水も飲んだしパンもかじった。と、誰かが叫んだ。
「鳥だ! 鳥がいる」
 今までは足元の砂ばかり見ていた視線が、上空の鳥の姿を捉えたのだ。皆立ち上がった。
「鳥がいるということは、湖が近いぞ!」
 もう人々は、じっとしていられない様子で身支度を整えていた。やがて鎖のように長く連なるキャラバンが動き出した。しばらく進むと、両側の砂丘に挟まれた窪みに丈の高いタマリスクを発見する。南西では砂漠が勝利を得ていたが、ここロブ・ノールの周辺では砂漠が破れ、生命が植物を率いて湖という型を取って勝利を収めていた。
 我々の旅も終わりに近づいていた。今いる水路は、やっと川床を作りかけているところであった。その沿岸に根を下ろした葦は、まだしっくりしておらず、それでもこれから後、水と共に子孫を増やす強さを蓄えている。
 我々は一直線に、ロブ湖を目指している水路を辿って行った。タマリスクがポツンポツン
と、岸辺を縁取っていた。やがて水路は尽き、かなり大きな水辺に出ると、木の枝にたたず
んでいたアオサギが、お高い様子をして我々を見定めていた。
 この地点から西方には、もう白鳥の姿はなく、ロブ湖近くになってはじめて、あちこちにつがいの白鳥が姿を見せるようになる。カモメやアジサシが頭上に舞い、葦の上では小鳥がさえずっていた。自然は今までよりはずっと賑わい、多くの生命を育てていた。
 砂漠で水のないところには、生命の存在は不可能である。生命は河と共にやってきて、葦やその他の植物の種を運び根を下ろす。下流へ行くに従って、タマリスクの数も増え、最後にはポプラが移住するのだが、その先に目をやれば、こんもりとした胡(こ)楊(よう)の森が視界に入ってくる。手前には美しい花をつけるギョリュウが群生する林や、シロニレなどの湿地が広がっている。
 風が葦に向かってさらさらと吹き、水が囁くように呟きく岸辺を迂回するとき、私は自然に招かれた部外者のように感じ、このオワシスに住む恐れを感じた。自然は凱旋行進曲など奏でてはいない。そこには静寂だけがみなぎり、生命の営み以外に人間の痕跡は皆無であった。
 水面には波が立ち、日にきらめきながら戯れていた。我々は湖が見える広い場所に到着した。皆は歓声を上げ、我先にと水辺へ走った。岸辺の安全な場所には、数羽の白鳥が降りていた。多分近くに巣があるのだ。孵化したての麦色の雛が母鳥の周りに泳いでいた。
 一行は、思い思いの場所にテントを張り、食事の支度に掛かった。ロブ・ノール周辺の川の水は、塩分を含んでいたため、飲んだ者は激しく吐いたが、疲れているためか夜はよく眠った。翌朝、彼らは幅五メートル、深さ一メートルの水路を見つけ、湯を沸かして、真水をたっぷりと飲んだ。
 そこら一帯は、古い乾上がった川床に、水が満たされている。葦、タマリスク、ポプラなど植物が、砂漠の風景に生命と色彩を与えていた。植物の種が流れに乗って、ここまで運ばれて来たに違いない。そして、岸辺に付着し、発芽し、根を生やしている。しかし所々には枯れたタマリスクなども横たわっている。
 湖には、いろんな種類の水鳥、野鴨、カモメ、時には小鳥たちも現れた。北方に目をやれ
ば、広漠とした砂漠が広がっている。目的地を目指すキャラバンに就いて行けず、何人かが砂の中に消えて行った。ラクダは元気を保っていたが、ロバは何頭かが、渇きや砂嵐にあって、砂漠に飲み込まれてしまっていた。
 夜はキャンプの上に月が輝きを投げかけ、深い平和が辺りにみなぎっていた。陳とラクダ使いの一行は、その後一日休養を取り、明朝出発すると言い、ラクダ三十頭ほどと、食料品を分けてほしいと申し出ていた。私は陳に、これまでの礼を言い、深々と頭を下げた。
 二、三日すると、一人の若い女性がセルジュのテントへ来て、草で編んだポシェットを差し出し、「この中に、小麦の種もみが入っています。他の女性も、種もみを肌身離さず携えて来ました。どうか、これを撒いてください」と、申し出た。
 セルジュは、女性たちの広大な思いに感激した。この辺りには魚もいるし、動物もいる。
しかし、なんといっても主食はパンで、肉も魚も副食にすぎない。麦を撒き、野菜を作って生活を豊かにしていく。
 セルジュは将来、この辺り一帯が黄金色に輝くだろうと想像した。
                                    了