matsunaeのブログ

親鸞を書きたい。随筆として書いたら良いのか?小説として書いたら良いのか考慮中

頑 固 な 石


           (一)


「あなたの石は、硬くて取りきることができませんでした」
「…………」
「だいぶ年季が入っているようですが、いつ頃からですか?」
   年季と言ったって、そんなこと分るはずないよ!
「石は手ごわくて、一回では取り切れません。三、四回通ってもらわねば……」
 女医は三十歳の半ばかと思われるが、外見はかなりの美人である。
「ひと月過ぎないと、次の手術はできませんが、次回は何時(いつ)ごろにしますか?」
   急に言われても……勤めもあることだし。


 私は令和二年二月四日にS病院に入院し、左記のごとき手術を受けた。
まず膀胱から尿管にカテーテルを挿入し、尿管結石の直下、あるいは腎臓の近くまで、細いワイヤーを挿入し、ワイヤーに沿って尿管の中を観察するための内視鏡も同時に挿入し、結石破砕手術を行った。


二回目の入院は三月十日に決まり、十一日に手術が終わり、手術の翌日に、またあの美人先生がやってきた。
「ご気分はどうですか? 手術の経過をお話にきました。今回も石は除去できませんでした。
あなたの結石は特別に硬くて、とても二回や三回では取りきることはできそうもありません」
「あと何回やれば、取りきることができますか?」
「あと二、三回は覚悟してください」
「え! まだこれから三回も……」
「わたしが責任をもってやります」
   そんな、一番恥ずかしい所を、何回もあなたに見せるなんて……。
「次回はいつ頃入院できますか?」
   まったく! なんて事務的なんだ。
 女医は憐れむような眼を向けた。
「あのう、いつごろなら都合がいいのですか?」、
「四月十五日が開いています」
   四月末からは、ゴールデンウイークが始まり、その上入院と言うことになれば、日給である私の収入もへってしまう。どうしよう……。妻は、「少ない葬式費用を削って入院費に回しているのよ」と言うが、もし尿毒症にでもなれば、働けなくなってしまうかも分からない。そうなれば更に困るのは目に見えている。
 しかし頑固な石を放って置くこともできず、あれやこれやと迷っている最中に、院内放送が女医を呼び出していた。
「四月十五日の入院でいいですね。それではこれで……」と彼女はそそくさと病室を出て行ってしまった。


          (二)


 窓からライトアップされた東京タワーが、目に飛び込んでくる。不安を抱えた一刻(いっとき)の余裕ではあったが、S病棟からタワーを見ていると、昭和三十三年頃の想い出が目に浮かんでくる。
 東京タワーの建設が始まったのは昭和三十二年六月。……私は山手線に乗るたびに、鉄塔が伸びるのを眺めていた。浜松町近辺から鉄塔がよく見えた。日に日に高さを増していくのが楽しみだった。タワーの完成が、昭和三十三年十月、まだ高速道路の高架に覆われる前の赤羽橋には、都電や人々が賑やかに行き交い、多様なデザインの外車も走っていた。現代では欧州車が目立つが、そのころ一番多かったのは大型のアメ車だった。キャデラック・GM・フォード・クライスラー・シボレー・パッカード・リンカーン・スチュードベイカーなどが、よく走っていた。
 東京タワーが立ち上がった直後の、昭和三十三年十一月には、美智子様と皇太子の御成婚が決まり、午後には美智子様とご両親が皇居を初訪問し、続いて宮内庁の記者会見に臨まれた。
「殿下のどこに魅力を?」という質問に、
「とてもご誠実で、ご立派で、心からご信頼申し上げ、ご尊敬申し上げていかれる方だと言うところに魅力を感じました」とお答えになった。
 とかく皇室には無関心の若年層を、すっかり虜にしてしまい、空前のミッチーブウムに日本中が沸いた。テニスが大流行し、白のシャツブラウスに紺のカーディガンという、美智子様のテニスファッションが、庶民の間で持てはやされた。皇太子ご成婚の映像や、プロレスの画像が、東京タワーの電波に乗って、人々を釘付けにしていたあの頃の日本は、敗戦からの再生を果たしつつあった。正に昭和三十年代は日本の青春と言えた。
 ……あれから、瞬く間に五十年が過ぎ、私も今年で八十四歳を迎えることになる。衰亡はおもむろに進み、終末は静かに兆している。私は何ものかの勢力で、死を迎える条件がことごとく熟したのを思うにつけ、まだ死が訪れて来ないのを不思議に思っている。もっとも衰えることが病(やまい)であってみれば、尿管結石の病気など何ほどの事もない。


          (三)


 新型コロナウイルスの最盛期、四月十五日に私は再度入院した。看護師(私は、この呼び名は嫌いである。看護婦でなければ、白衣の天使のイメージがわかない)とは、もう顔なじみになっていて何となく親しみが湧く。
「芝山さん、あなたとは今度で三回目ですね。よろしくお願いいたします」
「あら! わたしの名前、覚えていてくれたのね」
「私の住所が[芝]なので、すぐに覚えました」
『昼間の係です。芝山と呼んでください』
 入院した日は、夕食を取ったあと、下剤を飲むぐらいで、何もやることはない。ときどき夜勤の看護師が、体温と血圧を測りに来るぐらいである。病室は四人部屋で、患者はほとんどが老人である。
 私が本を読んでいると、隣りのベッドの老人が、乱暴に戸棚の戸を閉めたり開けたりしている。やがてそれが終わると、今度は知り合いに電話を掛けている。……そうかと思うと、向かいのベッドの老人が大声をあげて、看護師を呼んでいる。うるさくて本など読んでいられない。一体この老人たちの行動は何を意味しているのか? ……。
 隣の老人は、今日手術をしたらしいが、夕食の時間に看護師を呼んで、「うんち」と言っている。「なんだってこんな時間に!」手術のあと、あくる日の朝までは立ち上がれないが、そのために手術前に下剤を呑み、座薬まで挿入しているのに! ……。
「誰かの著書に、[九十歳。何がめでたい]というタイトルの本があったが、これまで長寿でありさえすれば「おめでとう」と言われてきたが、今後そうは行くまい。八十歳を過ぎた人間には生産性はないし、責任能力も薄い。将来このような老人が増えれば、社会は疲弊し国家は困窮する」
   「そう言うお前も、八十歳を超えているじゃないか」
「俺は、まだ働いてもいるし、理性にも問題はないと考えている」
   「そう言う考え方を、独断と言っている」
「じゃあ聞くが、生産性のない老人や、理性に乏しい人間の数が増しても、社会は成り立つとでも思っているのか?」
   確かに、現代人は、生産性の圧力の中で暮らしている。だからと言って、お前のような考え方に賛成はできない」
「俺は、長生きすることが、日本の将来を危うくすると言っているのだ」
少子高齢化にともない、二千二五年には、認知症患者が七百万人に達すると見られている。社会保障の財源も、社会を支える人の数も足りない。そのとき生産する能力が無い人間に、資源を振り向ける余力があるのだろうか? 現在でも消費税を五パーセントに引き下げろとか、〇パーセントにしろと言っている評論家がいるが、この人たちは日本の将来を真剣に考えているのだろうか? 
 老人問題についての議論は必要だと思っているが、現代人は、そういう難しい問題を避けようとする傾向がある。一人の高齢者を十人で支えて来た、千九百五十年代から二千十年には、支える人は二、六人までに減っている。現在は、その数字を下回っていることは確かだ。国の医療・社会保障費も限界にきている。


          (四)


 五月十九日に四回目の入院をした。十一時ごろ病室に案内されたが、その日はべつだん何もすることはなく、しばらくのあいだ椅子に凭れたまま、脱いだ片方のスリッパを足の指に挟んで揺らしながら、病状の思索に耽っていた。
 前回、美人の小松田先生から丁寧な説明を受けた。「レントゲン写真を見てお話をするのですが、あなたの石は現在腎臓のすぐ下の尿管にあって、当初の石の大きさの四十パーセントほどが残っています。たぶん、次回の手術で取り切れると思うのですが、もし手術後にレントゲン写真を見て、取り切れていない場合でも、あとは外来で処理できますので、入院は次回で終わります」と、告げられた。
   あぁ、やっと終わるのか。それにしても長かったなぁ……。


その日の係は戸田という看護師だった。はきはきとした親切な人だったが、少し勝気なような気もした。忙しいのかも知れないが、よけいな話はしない。私は、どちらかと言えば、病状の話にはあまり興味はなく、むしろ病気に関係のない話をして、人間関係を構築しておきたかった。
昔は若い女(ひと)には、声もかけられなかったが、今では、少し図々しくなって、平気で声をかけられるようになっていた。
「あなた、この病院は長いの?」
「それほど長くはありません」
「何年ぐらい勤めているの?」
「二年になります」
 なんとつまらない会話だろう。これでは病気に関する話の方が自然だし、長く話が続くとさえ思った。気持の中に、何かうすぼんやりとした悔いが残った。
看護師の頬は、ほてっていた。吐く息に五月の若葉を思わせる匂いがある。彼女には、まだ誰の所有にも属していない硬さがある。彼女は、私がどんな態度をとろうが、関心のなさそうな様子をしていた。
 夕飯が住むと、夜の係である看護師が顔を見せる。芝山という看護師だった。
「何だ! また君だったのか」
「あなたとは、今回で四度目よ、厭な顔しないでよ」
「この顔が厭な顔に見えるか?」
「冗談よ、それにしても随分と長いのね」
「うん、でも今回で君とも逢えなくなる。小松田先生の説明によると、今回で終了だそうだ。仮に今回取り切れなくても、石を砕くことは出来るそうだ。あとは外来でステントを抜くだけだとか?」
「よかったわね、そしたら私の顔も見ないで済むじゃない」
「こだわるなよ、本当はもう君に逢えなくなると思うと寂しいんだよ」
「本当ぅ? お世辞でもそう言ってくれると嬉しいわ」
 芝山さんとは初めての入院のときから、打ち解けていたような気がした。何かの切かけから、話題がインターネットに移ったとき、私のフルネームを教え、検索して見てくれと言ったことがある。検索したかしないかは分からないが、未だにネットの話は出てこない。
「何かあったら呼び鈴をおしてね、また後で体温と血圧を測りにくるわ」
 芝山さんは、そう言うと病室を出て行ってしまった。  まだ消灯前でもあるし眠くもなかった。談話室へでも行って見るか……
 談話室に入り、大きな窓に目をやると、真っ赤にライトアップされた東京タワーが目に飛
び込んでくる。コロナで面会謝絶になっているせいもあって、部屋には人影はほとんどない。
……オリンピックが終わっても、まだ赤羽橋の上を都電が走っていたと思ったが、現在は赤羽橋の上を高速道路が跨いでいる。
 都電は虎ノ門方面から、東京タワーに向かって神谷町の坂を上り、飯倉から三田の方へ下って行く。そして赤羽橋を渡り、慶應義塾大学の前を通って札ノ辻まで行っていた。


 夜景に彩られた高層ビルの灯が一望の裡にある。丘の上を横切るタワー通りの左には、高台の緑陰を生かしたオランダ大使公邸があり、その手前には、聖オルバン協会。公園を挟んだ隣が、芝給水所跡。この辺りは、散歩するのに事欠かない。
 大きな窓から見る夜景は、ライトアップされた明るいタワーに圧倒され、町の視野を狭めているが、縦は神谷町から仙石山まで、横は飯倉から都心環状線が走る麻布通りまでの、広い区域が工事のため、この範囲だけが闇に閉ざされている。
 いま都心では、大規模な工事が、そこいら中でなされている。その数と言い規模と言い、
バブル時代を遥かに凌いでいる。前から有った計画とはいえ、変わりつつある世の中に東京は対応して往けるのだろうか? 破局は必ず訪れるだろうと私は予感している。
まだ、[成れの果て]までは行っていない東京もいつかきっと…… 例えば、立ち上がった高層ビルに入る会社もなく、ビルの価格が底なしに値崩れするとか? ……私は自動販売機から生茶を取り出し、喉を潤しながら夜景を見つめていた。
プライドを放棄したビルの、成れの果てを想像しただけで素晴らしい。私はビルの礎石に触れながら散歩を楽しむだろう。どの角を曲がっても壁は無言で私を受け入れる。粘液などひと欠片(かけら)もない大理石に頬を当て冷たさを楽しむ。
 冷たく明るい巨大な[墓]に日が降りそそぎ、「早く来い」と囁いている。私は大理石に寄り掛かり、お互いの立場について語り合う。
「これからの社会は、コロナの影響もあって大幅に変わるぞ! オンラインが中心になると、東京に居なくても経営が成り立つ世の中になる。そうしたらビルに入る会社なんか無くなってしまうぞ」
「そう言う考えを取越し苦労と言うんだ。心配には当たらないよ、そんな状況になる前に政府は外国人を呼び込むに決まっている」
「そうなれば、アメリカ並みになる。治安はどうなる?」
「あんたの入る墓が、無くなるだけだよ」
「お前は巨大で冷たい体をしているが、最近では死者を埋葬する様式も変わって来て、昔のように地上に墓碑を立てるばかりが墓ではない。葬儀社のパンフレットによると、樹木葬と
か、海洋葬・宇宙葬などがあって、宇宙葬などは、なかなか魅力的だぞ! 『地上に墓碑を立てるばかりが墓ではない。地球に墓を持たずに[月にお墓を持つ] お墓の維持管理で悩むのであれば、墓じまいを前向に考えるのも一つの手段である。ご先祖様の遺骨をパウダー化し、月面に打ち上げることで、永久に月が先祖代々のお墓となる。宇宙葬は今や現実のもの、ロマンでもありスペクタクルでもある。ステイタスとして、いつまでも輝いているなんて素敵だと思いませんか』と、宣伝しているぞ!!」
……春なのに今夜は何となく寒い。この病棟は二年ほど前に建ち上がったばかりだ。明るい廊下は、どこもかしこも冷たくて清潔感にあふれている。それは私に砂漠のような気分を与えた。そんな埒もない感慨に暫く浸った後、誰もやって来る気配のない談話室を後にした。


          (五)


 ……臭い大便の臭いで目が覚めてしまった。部屋中に広がる臭気に我慢ができず、思わず布団を被ってしまった。想像によれば、ねっとりとした便に量も半端じゃないらしい。十分ほど経った頃、「どうしましたか?」と言う看護師の声。
「さっきから呼んでいるのに、何で来ないんだ!」
「他の患者に呼ばれて、手が離せなかったのよ」
「言い訳はいいから、早く取ってくれ!」
「わぁー臭い! うんちが出そうになったとき呼んでよ。そしたら便器を当てがうんだから」
「いいから早く取れよ!」
 看護師も、なかなか処置をしようとしない。それにしても下(しも)の面倒から痰のことまで世話を掛けている看護師に対して、罵詈雑言を浴びせかけている。
「今、手の離せない患者がいるのよ!」
「そっちは後にしろ!」
「そうはいかないわよ」
と、言って出て行こうとする看護師の背中に向かって、「馬鹿野郎!」と、叫んでいる。向かいのベッドへ来た看護師は戸田さんらしい。手が足りないらしく、昼間から引き続き勤務しているらしい、疲れているのかも知れない。
 それにしても爺は、辺り構わず怒鳴り散らしている。つねづね多くの人々を傷つけ、不幸にしているという自覚など、まったく感じられない爺は、己の身にそなわった、生まれながらの自負を抱いていたが、体の利かなくなった現在、老いと病気と分泌物の臭いに埋もれながら、看護師に対して、ひそかに復讐を企んでいるのかも知れない。
 しばらく布団を被り、悪臭を我慢していると、二人の看護師が、爺の部屋へ入って行った。一人では手に負えないらしく、戸田さんは芝山さんを伴ってきたらしい。
「おしめを変えましょうね」
 芝山さんの声が聞こえて来た。爺は、これ以上駄々をこねると、糞を取ってもらえないと考えたのか、おとなしくしている。私も早く糞の始末をしてもらいたいと思っている。こんな状態が続けば窒息しかねない。しばらくは、大便を処理している会話が聞こえてくる。
「弁(べん)原(ばら)さん、身体を横にしてください」
「一人じゃ無理だってば、手を掛けてくれ!」
   なにから何まで、世話になっているくせに、少しは感謝したらどうなんだよ! まったく!! 
 大便の処置をすますと、二人の看護師は病室を出て行ってしまった。  消臭剤を撒いてくれ! そう思っていると、シュ、シュという音が聞こえて来た。
   ああ、これでやっと眠れる。糞意地の悪い爺の奴、看護師に何か意地悪なことでも企んでいなけりゃいいが……。
 ひと眠りしたころ、「松苗さん」と、呼ぶ声がした。目をあけると、芝山さんが医療器具を乗せたキャスターの向こうにいる。
「体温と血圧を測りに来ました」
 私は体温計を腋の下に挟みながら、「さっきは、酷い目にあったね」と、言ってみた。
「ああいう患者多いのよ、わたし、あの人の係じゃなくてよかった」
「自分のこと何も出来ないのに……あんな人間、生きてる価値ないよ」
「そこまで言っちゃだめよ」
「だってあの爺、自分のプライドを台なしにする行動を平気でやっている」
「年だから仕方ないのよ」
「とにかく今の世の中、弱者に優し過ぎるんだよ」
「悪いことじゃないわ。……松苗さんって、見かけによらず冷たいのね」
「俺が看護師だったら、あんな爺、蹴とばしてやる。奴は、どんな復讐を考えているか知れやあしない。戸田さんに気をつけろと言っときな」
 険悪な雰囲気にいたたまれなくなったのか「じゃあ、また来るから」と言い残して芝山さんは私から離れて行った。


          (六)


 朝六時を過ぎたころ芝山さんがやって来て、「座薬を入れますので横を向いて、……「挿入してから五、六分は我慢していてね!」と、言った。
 大便に就いては、過去二度の経験で懲り懲りとしていた。自分だけは、みっともないことはできない。そのため前の晩、九時ごろに飲む便秘薬を早めに持ってきて貰い、七時頃には飲んでいた。芝山さんには言っていないが、今朝四時ごろ一回大便をしているのだ。
「九時には、昼間の看護師さんと交代になります。手術は十時からです」
「もう君に逢えなくなると思うと寂しいよ」
「お世辞にもそう言ってくれるとうれしいわ。でもこれでお別れね、どうぞお大事に……」
 彼女は、私が寂しいと言った言葉に、特別な意味なんか感じてはいない。彼女が持つ親密さは天性のもので、入院患者の誰とでも親しくしていた。
 いつか、インターネットの話をしたことがあったが、せめて一作品でもいい、感想を聞いていれば、もう少し親しくなっていたかも知れない。  我儘な患者に当らなければ好いがと、心の中で密かに思った。
九時半になっていた。担当の看護師が、丁字帯とソックスを持って挨拶に来た。
「高田と言います、昼の担当です。よろしくお願いいたします」
 勝気で涼しげな眼をした、若い看護師であった。彼女は、私をベッドに座らせソックスを履かせた。
「パンツ一枚になってください、手術着に着替えます。入れ歯はしていますか? その他、身についているものは全部外してください」
「入れ歯は今朝、歯を磨いたときに外してコップに入れてあります。その他、身に着けている物はありません」
「入院には、慣れていらっしゃるのね。十時少し前に迎えにきます、それまでにトイレを済ましといてください。では後ほど……」
 ベッドの周りには、お茶、タオル、本、メガネなどが雑然と乗っている。カーテンの隙間から光が射し、本のタイトルを照らしている。[シルクロード] 人が見たら、入院中にこんな難しそうな本を読まなくても、と思うかも知れないが、私には、どうしても書き残しておきたい著作がある。
タイトルは、[仏教の道・シルクロード] 誰も読んでくれそうもない本である。以前から私は大乗仏教にたいして、敬虔と疑問を感じている。
 ……仏滅後、四、五百年ほどを過ぎると、[法華経][無量寿経][華厳経]といった経典が、釈迦の説法として公布されていく。言うまでもなく、この新しい仏教を大乗仏教というが、
仏滅後、四、五百年も経ってから現れた経典が、釈迦が説いたものでは当然ありえない。これを編み制作した者は、何者であったのか? 確かなことは何も判らないにも拘わらず、経典には必ず、我聞如是(我聞く是の如くを)と言う言葉が載っている。
 大乗仏教は、釈迦を多大な善行ある者として神格化してきたが、後に仏教文学が発展し、[本生譚]なども出現し、多くの物語が大乗仏教に影響を与えた。
 仏教のことに熱中していると、突然カーテンが開けられて、「松苗さん、手術の時間です」と、告げられた。
 手術室に入ると、生年月日を西暦で仰ってくださいと言う。何度かの経験があるので、わりとすらすらと言えた。看護師同士の事務手続きが済むと、手術台の上で仰向けになる。
「麻酔をしますので、血管に針を通します」うなずいて三分ぐらいで、意識がなくなる。
……肩を叩かれて、ぼんやりと意識が戻ったとき、「松苗さん、松苗さん」と、呼ぶ声がする。高田さんの覆いかぶさるような顔が覗いている。
「お部屋へ帰りましょうね」高田さんの白い顔が天使に見えた。
 手術後は、朝までベッドに寝たままで動くことはできない。腕には点滴の針が通っているし、尿道には小水を出す管が通っている。看護師が時々熱と血圧を測りに来る。
「血圧は百四十六、熱は三十七度です」
「あのーぅ、今回の手術は、どれくらい時間が掛かりました?」
「三時間ほど掛かりました。経過は順調です。小水も、きちんと出ています」
「ありがとうございます。ちょいちょい見に来てください」
「分かりました、何か不安なことでも……」
 そう言って、高田さんは病室を出て行ったが、不安なことなんか何一つない。ただ、ときどき若い女性の声を聞いていたいだけなのだ。
 朝になると、尿道の管を外しにきた。夜の勤務に就いていた、ベテランの看護師であった。
「水をどんどん飲んでください。それから、紙カップで、取った小水は、棚に出して置いといてください」
 九時ころになると、手術をしてくれた小松田先生が来てくれた。
「今回で終わりです。石は砕きましたが、まだステントは、尿管に残っています。ステントの除去は通院で処置できます。長いあいだご苦労様でした。……具合の悪い処は、ありますか?」
「ありがとうございました。今のところ悪い処はありません」
 小松田先生とは、長く話ができたらと思っているのだが、いつも事務的で話は短い。どうしたら話が長く続くだろうか? こんど会ったら質問攻めにして見ようか? などと考えている……。
                                    了

謎の国 楼蘭(八)ロブ・ノール



 ……翌朝、陳は南方の窪みを越え丘の上から、通行しやすい道を見つけるため辺りを偵察していた。東方の彼方からは、燃え立つような太陽が昇り、燎原の炎のようだ。北の方は広々として平坦な土地だが、南の方には、かなり高い丘が見える。陳は、キャンプへ帰ると出発を命じた。
 キャンプ地を出発し、忍耐も尽きるころ、黄金の眩しい砂丘が目に入ってきた。私たち
はこれまでと同じように、歩きにくい砂丘の中を黙々と歩いた。砂の海のただ中で私はめまいを感じた。
「思った通りだ!」前方から陳の声。
 近くの何人かが、歩くのを忘れて前方を見ていた。凹凸の厳しい砂漠に点在するヤルダンも太陽の光を受けて美しい。
「この丘を越えたら食事にする」
 陳の声に、皆勇み立って丘を下る。歩くときには、足元ばかりを見ながら歩く。私の前を歩いている隊員も、相当疲れている様子だ。足がほとんど上がっていない。脇を通過して前に出て顔をのぞく。「おい!」と声を掛けるが、地面をみつめたまま返事をしない。
   これは最後までもたないな、と思う。……案の定男は動かなくなってしまった。男を葬ったため、昼食が大分遅れた。太陽は高く、どこにも日影が無い。
「日暮れまでには着きたい」と言う陳の掛け声で早々に出発する。相変わらず黄色の砂漠が
広がっていた。そこには長い波状の砂丘が隆起し、ヤルダンの風景が出現した。ヤルダンとは、風のために形づくられた粘土の塊であって、独特な形状を作り上げている。
 また陳の声が聞こえて来た。「このヤルダンを通りこしたら小休止にする」私は陳の声にほっと一息つけた。
 休息は丘の麓を選んだ。充分水も飲んだしパンもかじった。と、誰かが叫んだ。
「鳥だ! 鳥がいる」
 今までは足元の砂ばかり見ていた視線が、上空の鳥の姿を捉えたのだ。皆立ち上がった。
「鳥がいるということは、湖が近いぞ!」
 もう人々は、じっとしていられない様子で身支度を整えていた。やがて鎖のように長く連なるキャラバンが動き出した。しばらく進むと、両側の砂丘に挟まれた窪みに丈の高いタマリスクを発見する。南西では砂漠が勝利を得ていたが、ここロブ・ノールの周辺では砂漠が破れ、生命が植物を率いて湖という型を取って勝利を収めていた。
 我々の旅も終わりに近づいていた。今いる水路は、やっと川床を作りかけているところであった。その沿岸に根を下ろした葦は、まだしっくりしておらず、それでもこれから後、水と共に子孫を増やす強さを蓄えている。
 我々は一直線に、ロブ湖を目指している水路を辿って行った。タマリスクがポツンポツン
と、岸辺を縁取っていた。やがて水路は尽き、かなり大きな水辺に出ると、木の枝にたたず
んでいたアオサギが、お高い様子をして我々を見定めていた。
 この地点から西方には、もう白鳥の姿はなく、ロブ湖近くになってはじめて、あちこちにつがいの白鳥が姿を見せるようになる。カモメやアジサシが頭上に舞い、葦の上では小鳥がさえずっていた。自然は今までよりはずっと賑わい、多くの生命を育てていた。
 砂漠で水のないところには、生命の存在は不可能である。生命は河と共にやってきて、葦やその他の植物の種を運び根を下ろす。下流へ行くに従って、タマリスクの数も増え、最後にはポプラが移住するのだが、その先に目をやれば、こんもりとした胡(こ)楊(よう)の森が視界に入ってくる。手前には美しい花をつけるギョリュウが群生する林や、シロニレなどの湿地が広がっている。
 風が葦に向かってさらさらと吹き、水が囁くように呟きく岸辺を迂回するとき、私は自然に招かれた部外者のように感じ、このオワシスに住む恐れを感じた。自然は凱旋行進曲など奏でてはいない。そこには静寂だけがみなぎり、生命の営み以外に人間の痕跡は皆無であった。
 水面には波が立ち、日にきらめきながら戯れていた。我々は湖が見える広い場所に到着した。皆は歓声を上げ、我先にと水辺へ走った。岸辺の安全な場所には、数羽の白鳥が降りていた。多分近くに巣があるのだ。孵化したての麦色の雛が母鳥の周りに泳いでいた。
 一行は、思い思いの場所にテントを張り、食事の支度に掛かった。ロブ・ノール周辺の川の水は、塩分を含んでいたため、飲んだ者は激しく吐いたが、疲れているためか夜はよく眠った。翌朝、彼らは幅五メートル、深さ一メートルの水路を見つけ、湯を沸かして、真水をたっぷりと飲んだ。
 そこら一帯は、古い乾上がった川床に、水が満たされている。葦、タマリスク、ポプラなど植物が、砂漠の風景に生命と色彩を与えていた。植物の種が流れに乗って、ここまで運ばれて来たに違いない。そして、岸辺に付着し、発芽し、根を生やしている。しかし所々には枯れたタマリスクなども横たわっている。
 湖には、いろんな種類の水鳥、野鴨、カモメ、時には小鳥たちも現れた。北方に目をやれ
ば、広漠とした砂漠が広がっている。目的地を目指すキャラバンに就いて行けず、何人かが砂の中に消えて行った。ラクダは元気を保っていたが、ロバは何頭かが、渇きや砂嵐にあって、砂漠に飲み込まれてしまっていた。
 夜はキャンプの上に月が輝きを投げかけ、深い平和が辺りにみなぎっていた。陳とラクダ使いの一行は、その後一日休養を取り、明朝出発すると言い、ラクダ三十頭ほどと、食料品を分けてほしいと申し出ていた。私は陳に、これまでの礼を言い、深々と頭を下げた。
 二、三日すると、一人の若い女性がセルジュのテントへ来て、草で編んだポシェットを差し出し、「この中に、小麦の種もみが入っています。他の女性も、種もみを肌身離さず携えて来ました。どうか、これを撒いてください」と、申し出た。
 セルジュは、女性たちの広大な思いに感激した。この辺りには魚もいるし、動物もいる。
しかし、なんといっても主食はパンで、肉も魚も副食にすぎない。麦を撒き、野菜を作って生活を豊かにしていく。
 セルジュは将来、この辺り一帯が黄金色に輝くだろうと想像した。
                                    了

謎の国 楼蘭(七)タクラマカン砂漠



 先頭を歩くキャラバンリーダーに続き、ラクダの鎖のような長い列が一列になって進み始めた。出発してしばらくは、タクラマカン砂漠を見つめながら、タマリスクの茂みの間を
進んだ。先ほどまで荒れ狂っていたロバも、列を乱すことなく、おとなしく従っていた。
 点々として生えていたタマリスクの茂みが、しだいにまばらになってくると、緑を帯びていた木々も、茶色く枯れた姿に変わって行く。いつしか大砂丘が眼前に迫ってきた。六十頭のラクダは、くの字の形になりながら進んでいる。起伏のひどい所を避けるためだ。
 当初の予定では、二時間おきに小休止を取ることに決めていたが、出発時間が遅れたため、もう一時間ほど進んでから休息を取ることにした。
かって、タリム河はこの辺りまで流れていたというが、今は川床が微かに残るばかりであ
る。タクラマカン砂漠の場合、地下には大量の水が貯えられている。その水は南の崑崙、北の天山、西のパミール。これら六千メートルを超える山々に多量の雪が降る。夏になるとそれらが解けて砂漠に流れ下ってくるのである。
川床を進み小高い砂丘の前まで来ると、全員がロバから降りて水筒の水を口にする。砂丘の上の太陽がようやく西に傾いた。「今夜はここでキャンプする」と陳はラクダ使いに告げた。
 二日目は太陽が昇る前に起床する。まだ周りは闇に包まれていたが、あと六日で目的地へ着けるという期待がある。朝食が終わるころ日も昇り、一行は左手に大きな砂丘の連なりを見ながら南へ向かう。
 砂丘に沿って、比較的平坦な場所を選んで進む。周りの風景は一向に変わらない。すでに気温はかなり高い、中には座り込んだまま動こうとしないラクダもいる。私たちだって限界に近づいている。それでも、最後の気力を振り絞り、小高い丘の上にたどり着いたとき、私は愕然とした。見渡す限り砂丘が続いているだけなのである。
 私はある種の緊張を覚えた。隊員たちも、砂漠のキャラバンがどれほど過酷なものであるかを、身をもって体験しているのだ。午後になって風が強くなってきた。前方に黄砂の舞うのが見える。ラクダ使いが走って来て叫ぶ。
「ロバを風下に向けて、腹ばいにさせろ! その前に首が入る穴を掘れ、突風がきたら、ロバの首を突っ込め!」
 一羽の鶏が声を上げて、大きく羽ばたいた。同時にロバが一頭、身もだえしながら逃げだした。普段は従順な家畜も、危険の迫ったのを予感して、身の安全を図って逃げ出したのである。
辺り一面に黄砂が舞い、隊列もすっかり砂のベールに包まれてしまった。口を布で覆ったぐらいでは、どうしようもなく息苦しい。ラクダは、砂嵐の到来を予知し、鼻を砂の中に埋めて目を瞑っている。砂塵はすぐに過ぎ去るが、このとき鼻口を防ぐ物がない場合は、その者は大変苦しむという。
 我々は、タクラマカン砂漠に足を踏み入れてみて、タクラマカン砂漠と言うものがいかなるものか、その一端に触れた思いであった。タクラマカンとは、ウイグル語でタッキリ、マカン。タッキリは(死)マカンは(はてしない)と言う意味。確かにタクラマカン砂漠は、[死の海]以外の何ものでもなかったのである。
 砂漠では悪鬼、熱風が現れ、これに遇う者は砂漠の中を迷い歩き、目的地へ着いた者は一人もなく、茫漠とした砂丘と渓谷の中を彷徨(さまよ)い、終(しま)いには皆死んでしまうのである。
 ……ところでこの砂漠には、不思議な風説が残っている。歩きながら眠りこんでしまったり、あるいは何らかの理由で、連れの仲間に置き去りにされて離ればなれになり、なんとかして追いつこうとして焦っていると、悪霊が彼の仲間のように話しかける。しかも、しばしば彼の名を呼んでいるのである。
「わたしが案内して進(しん)ぜよう」旅人は悪霊の声に惑わせられて行方不明になったり、仲間から逸(はぐ)れて遂には死んでしまうのである。
 またこの悪霊の声は昼間でも聞こえてくるという。そこで旅人は、この砂漠を横断するときは、お互いが逸れないように、ラクダの首に鈴をぶら下げて行くのだと、陳は話した。
 砂丘の上の太陽が、ようやく西に傾いた。進むか止まるか、ラクダ使いと陳の意見が分かれた。だが、ラクダも人間も限界にきていた。無理をしてこのまま進むのは危険が多い。私たちは、疎らな枯れ木が残った砂丘の窪地にキャンプをすることにした。
 ……あくる日の朝、まれに見る激しい風に目を覚まされた。この風は、キャンプの周りに、もうもうと砂埃を巻き上げていた。しかし、飲み水には限度がある。合間を縫って出発の支度を整える。
二日歩いても三日歩いても砂しか見えない。砂漠には果てしなく砂丘が連なっている。砂丘が波なら、風紋は波の中のさざ波だろうか。目的を忘れて、漠然と光景だけを眺めているならば、実に美しい。特に朝と夕、光が横から当たるとき、大きな波も小さな波も、陰影をひときわ際立たせる。しかし反面、昼の世界を闇に閉ざす竜巻は、黒い嵐[カラ・ブラン]の一つだと陳は言った。


   カラ・ブランよ、カラ・ブラン
   ああ、恐るべきカラ・ブラン
   わが故郷を奪い、わが故郷を埋め
   わが愛する妻子を離散せしめぬ


 タクラマカンには、緑に沿ってオアシスが点在し、水が旅人の喉を潤し、ホプラの木陰もあると聞いていたが、砂漠に入ってからは、三日たっても四日たっても、周りの風景はほとんど変わらない。見えるものは相も変らぬ砂ばかりで、寂寞を破るような何物も現れない。
 陽光は茫漠として霞み、砂の異変が夢幻のように見える。しかし夏になると、南の崑崙や北の天山から雪解け水が流れ下ってくる。陳の説明によれば、水は砂漠の砂を飲み込んで、人の駆け足より速い速度で進むという。
 砂漠の中で何日も彷徨(さまよ)っていると、誰彼なく水を連想する。しかし今の時期水などは流れては来ない。風は砂を飛ばし、小石を走らせる状態で、見わたす限り黄砂の海である。
 春から初夏にかけて、タクラマカン砂漠には、カラ・ブラン(黒い嵐)と呼ぶ砂嵐が起きる。それに巻き込まれたら、という不安に怯えながらヤルダン(風が作った粘土の塊)を縫って進む。ヤルダンは無数の列をなしていた。その隙間を通ってしばらく歩かねば、次の隙間まで行き着かない。こうした地勢は人を絶望に追い込んでしまう。
 ここからロブ湖まで何日かかるか分からない。砂漠に入ってからでも何人埋葬してきたか! おそらく三十体は下るまい。比較的達者なのは若い女性で、何かと子供の世話を焼いている。今も子供を、風と反対に尻を向けさせている。その時の彼女の幸福に満ちた表情は一体なんなのか? 目前に果てしなく広がる砂漠は、生ある者を拒否して、厳粛で恐ろしくさえあった。しかし、もう誰が止めようとしても、この女性を止めることなど出来そうもない。  なぜ先へ進みたいのか?「是非など問うな!」二人とも、風を拒否するそんな姿で立っていた。
 ここ数年、血が騒ぐことなどなかったが、私は私の血の騒ぎを、しずめることはできなかった。たとえそこが極寒の地であろうが、死の砂漠であろうが、私は行かなければならない。
この先のことに、是非など考えている余裕などなかった。先頭のラクダはもう歩きだしていた。砂のうねりは波のように美しい。目の前の、このつつましい砂の小流も、大気が急速に冷える真夜中、砂の熱さと空気のつりあいが崩れると、控え目だった砂の小流が荒波に変わり、荒れ狂う大海に豹変する。
 ……私は歩いていた。歩きながら目指す目的地が、どんどん遠ざかる衝動に囚われ始めていた。  これか! これが砂漠の誘惑なのだな? 旅人が悪霊に惑わされるとはこう言うことだったのか? 「空に飛ぶ鳥なく、地には走る獣(けだもの)もいない。見渡す限り砂の海で、行路を求めるにしても拠り所が無く、標識として頼るものは、ただ死者の枯骨のみである」と、法顕は記録している。
 陳は期待したほどに砂漠の方角を知っていなかった。砂漠へ入ってからの一日目は、川床に沿って東に一日行き、そこから南の方の土地をさすらったが、確かな発見は何もなく、陳は前に自分が通った方向を、見つけ出せずにここまで来たのかも知れない。
 日が沈み、多少の涼しさがおとずれるようになると、皆も元気を取り戻していた。翌日、めずらしく北西風が吹き、短いが強い驟雨が降って皆を喜ばせた。遠くに見える山の尾根が、青灰色の輪郭をくっきりと描き、雲によって活気づけられる空よりも、やや黒ずんで見えた。
 風が砂漠をわたる。不安に囚われながら半日彷徨(さまよ)って、やっとキャンプ地へたどり着いた。
キャンプの一角で、陳とラクダ使いが、なにやら激しい口調で論じ合っていた。
「ロブ・ノールへはいつ着くんだ! ラクダも水を欲している。あと二日もすると、ラクダは動かなくなる」
「積んでる水を少し与えろ」
「ロバに背負わせた水も底をついている。人間とロバの水はどうする」
「だから、ラクダに水を半分ほど与えろと言っている」
「何日したら、ロブ・ノールへ着くんだ!」
「その手前に溢水(いっすい)地帯がある筈だ! そこには多くの沼沢地があって、さらに進むと池のような湖がある。そこからロブ・ノールまで二日あれば着く」
「それで、その沼沢地まで何日かかる?」
「二日もあれば着くだろう」
 陳が言う池のような湖とは、川から地下水をもらっていて、いつでも水があるとは限らない。朝起きると、陳は太陽の位置を確かめ出発を命じた。
 砂漠は相変わらず単調で、しかもその寂寞を破るような何物もない。まわりの光景は依然として変化せず、目に入るものは果てしない砂の波ばかりである。空に鳥一羽見る訳ではないから、砂こそが砂漠で唯一の生き物のようにさえ感じる。
 あと四日、陳を信じる以外なかった。今は誰も陳を邪魔すべきではない。だが、この日ほど不安にさいなまされて歩いたことはなかった。もし誰かが、「水が尽きたらどうなるのか」などと呟いたとしたら、私は、そいつの頭を殴りつけていたに相違ない。
ここで水が尽きたならば、旅行者は絶望的である。けれど、ロブ・ノールの広さは、海のように大きいと聞いている。方向さえ間違わなければ、湖をきっと目にすることが出来るはずだ。しかし、その日も砂しか見ることはなかった。風は風紋を刻み、そこに斜光が当たって陰影を際立たせている。
 太陽はすでに砂丘に沈みつつあった。陳はキャンプ地を定め、そこにテントを張るよう命じた。夜のキャンプの上に、月が銀白の輝きを投げかけ、深い眠りに落ちたテントからは、平和な気配が漂っていた。
 朝起きると、また陳は太陽を見つめていた。時間と太陽の位置で進行方向を確かめているのだ。気温は四度まで下がり、この季節にしては異常に低かった。あらかたのテントは絨毯(じゅうたん)で出来ていて寒さは凌げたが、砂漠の涸沢で寝たせいか、起き出してきた人たちは、みんな体を摩(さす)っていた。
 出発してからも、風の轟におびえながら進んだ。飛ぶ砂や埃が視界を遮り、周りが見通せない気がかりもある。しばらく歩くうち、起伏の多い窪地にタマリスクを見た。現在は乾上っているものの南へと続いている。その輪郭は極めて不規則で、南の方角がだんだんと狭くなっていて、結局溝になってしまったが、そこには、ちっぽけな沼沢地があって水が貯えられていた。
「水だ、水があるぞ!」
 人間もロバもラクダも、争って水辺へ駆けつけた。今まで萎れかえっていた人も動物も、草木が水を得たように元気を取り戻していた。溝はそこからさらに南東に流れ、やがて砂漠の中に吸い込まれていると言う。
「少し早いが、今日はここでキャンプだ!」
 陳の誇りに満ちた声が聞こえてきた。人々のあいだから、歓声に似たどよめきが起こった。
「ロブ湖までは二日で着く、安心してゆっくり休め」陳は、勝ち戦の将軍のように肩を聳(そび)やかせていた。
 この支流は、わずか五、六メートルの幅に過ぎなかったが、形(かたち)は不規則で全く気まぐれにくねっていて、完全に乾上がってはいなかった。途中には流れのない水溜まりがたくさんあって、川床の半分はそれらで占められていて、水溜まりの間には水路がゆるやかに流れてもいた。
 私は、是非とも確かめたいことがあって陳を呼んだ。
「ロブ・ノールのことを少し詳しく聞かせてほしい」
「ロブ・ノールへは一度行ったきりで……で、どんなことを」
「林や森はあるのでしょうか?」
「もちろんあります、そこには鳥も獣もいます」
「周辺へ水を引けば、作物は出来そうですか?」
「さぁーそれは、私には分かりません。湖には魚はいますし鳥もいて、さかんに鳴き声をたてていました」
「私たちは、そこで生活をしようと思っているものですから……」
「承知しています。開拓のしようによっては、いい土地になると思いますよ」
「そうですか、ロブ・ノールへ着くのが楽しみです」
 その夜のキャンプは、どのテントからも賑やかな声が漏れていた。ラクダもロバも足を折りたたんで寛いでいる。
 陳からロブ・ノールの話を聞いた夜、テントへ帰ってからも、セルジュは陳の話を反芻していた。
 セルジュは、陳からロブ・ノールの話を聞いた今、昨日までの不安が幻のように感じられた。しかし彼にとっての未来は、それが明るくなければならぬ。もし日光の下における秘密というものがあるならば、その神秘こそ我々に与えられた物であらねばならない。
 あくる日、太陽が顔を出すころには、もうキャンプは賑やかになっていた。テントの前の背の低い箱に、お茶と温かい料理が並んでいた。中でも最も重要なものは羊の肉で、砂漠の旅には、欠かせない蛋白源である。羊の肉に脂身を挟み、串にさして火にあぶるというだけの料理である。
 羊肉独特の癖はあったが、しばらくぶりの御馳走に、食い意地の張った私は「あっ、あっ」と言いながら頬張った。となりの台には、太ももの付け根から足首まで、一メートルもあろうかと思われる羊の足が丸ごと乗っかっていて、それを岩塩と胡椒を振りかけて皆で食べている。食べ終わると、それぞれが満足して茶をすすっている。
「急ぎましょう」陳の催促に皆が立ち上がった。出発の準備はすべて整った。
 キャラバンは前進した。陳の予言が正しかったことを、自分自身の眼で確かめたものの、これから先の砂漠を思うと、ふと不安が過った。案の定、午後に入ると激しい風と共に私の杞憂が始まった。砂丘はむきだしで、恐ろしいばかりに不毛であった。自分の意識が正確だと分かったのは、波浪のような丘を降り始めたときだった。斜面は長く一向に平らにならない。砂漠にも眼に見えない湿地帯があるのか? 涸(かれ)谷(たに)なのかは分からないが匂いはなかった。
 砂は少しも匂いをもたないのだろうか、これだけ広大に広がった砂が何の匂いも発しないのである。涸谷に川の名残はあるが、川床は乾上がっている。夏になると天山山脈や崑崙山脈から雪解け水が流れ込み、そこからさらに南東に流れ、四、五日歩いた先で、砂漠の中に吸い込まれて終わっているという。
 見上げると、太陽の凄まじい光が飛砂で視界を遮った。キャラバンは川底を辿って進んだ。再び大砂漠が我々を取り囲んだ。キャラバンが川底を捨て去って南に転じて以来、砂が足元に食い込んでくる。風はまだ残っていたが、空からも、地の底からも、熱の圧力が一行を押し包んでいる。しかし動物も人間もわりと元気で、ここまで来た誇らしさの感情が、何となく伝わってくる。
 そんな中でも若い女性たちは、病苦に苦しむ人たちを励ましつづけた。
「明日は目的地へ着きますよ! あと一日辛抱してください」
 女性の励ましの言葉に、今まで息苦しそうだった病者も安心したのか、「水を飲ませてください」と、水をねだった。患者は苦痛と恍惚に耐え、確実な生命の実存に陶酔した。
 南方に黄色の砂漠が広がっていた。そこには長い波状の砂丘が隆起し、ヤルダンの風景が出現した。ヤルダンとは、風のために独特な状態に形づくられた粘土の塊である。そろそろ 日が落ちる。陳は丘の窪みにテントを張るよう命じた。
 ……夜のキャンプに、月が銀白の輝きを投げかけ、深い平和が辺りにみなぎっていた。
「明日は目的地だ!」誰かの声と共に、全員が夜食にとりかかる。すべての人たちは、田舎にでもいるような気分で、残りの鶏を全部ほふり、小麦粉もねった。肉は串にさして焼鳥にし、ねった小麦粉でパンを焼いた。
 超人的な労苦のあとでの、食事の支度は皆を元気づけていた。
「湖へ着いたら一番先に何をする」
「湖へ飛び込んで、思い切り泳いでみるさ!」
「そうだな、動物もきっとそうするだろう」
「俺は魚を獲って喰いてエ」
 はずんだ会話のなか、食卓に料理が並ぶ。陳と私と四、五人が、食卓がわりに使っている箱の周りに座った。我々は小一時間、時を忘れ楽しく歓談した。